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1.日本舞踊
清元「旅奴」
芳瞠流家元 芳瞠 宣州
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「仮名手本忠臣蔵」の 「八段目旅奴」です。加古川本蔵の娘小浪が母と山科の大星力弥をたずねる道行の場面 で、その母娘はカットされ、お供の奴一人の踊り。一杯機嫌の奴が、状箱を刀にむすんで肩にかつぎ、寒さをまぎらわすために酒を飲んだ奴がほろ酔いでやってきて、自分の 影法師と戯れ「小室節 の馬子の姿や、~吉田通れば二階から」 そして御国入りの槍踊りなど、それらのシャれっ気のある振りがこの小品 の見どころになります。 |
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2.ゲスト対談
赤穂事件と仮名手本忠臣蔵
関西落語協会会長
露の 五郎
赤穂市総務部市史編纂室主幹
三好 一行
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赤穂義士の反権力の行動が民衆に支持されたからこそ47年後に上演された「仮名手本忠臣蔵」をはじめとして様々な「忠臣蔵」物語が、芝居、小説、映画、テレビ・ドラマ、バレエ、オペラに至るまで300年間にわたって人々の心を感動させ続けています。今回のステージではこの史実と後に生まれた庶民向けの物語が交錯する「虚実の彩」についてお話させていただきます。 |
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3.軽口にわか
三段目
露の団四郎こと 一輪亭 花咲
立花家千橘こと 大坂屋 町人
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プロフィール
露の団四郎こと 一 輪 亭 花 咲
1977年 露の五郎に入門、露の五郎の30周年リサイタルにて、初舞台。 1986年 大阪にわかの名跡、四代目一輪亭花咲を襲名。 現在、年一回のバースデイ独演会、大阪にわかの会を国立文楽劇場にて 公演する他、各地の落語会、地域寄席などに、意欲的に取り組んでいる。
立花家千橘こと 大坂屋 町人
1966年 桂小春団治 「露の五郎」入門 。1967年 うめだ花月 初出演。1968年 四代目大阪家町人を襲名「にわか名」。 現在、独演会や落語会開催のかわら、テレビ、ラジオCM, 講演会、結婚式の司会までこなすマルチタレントぶりを発揮。
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4.人情噺
中村仲蔵
露の 五郎
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プロフィール
1947年 二代目桂春団治に入門。
1968年 二代目露の五郎を襲名。
1969年 大阪文化祭賞を受賞。
1973年 大阪府民劇場奨励賞を受賞。
1985年 昭和60年度文化庁芸術祭賞を受賞。
1993年 大阪市民文化功労表彰を受賞。
1994年 上方お笑い大賞審査員特別賞を受賞。
1998年 平成10年度西宮市民文化賞、
平成10年度兵庫県文化賞を受賞
NHK朝の連続テレビ小説「あすか」に出演。一方では、上方の笑芸の原点である「大阪にわか」の継承にも力を入れている。上方古典落語はもちろん人情噺では当代一流の噺家と言われている。なお、豊富な経験を生かした講演も大変好評です。 |
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5.日本舞踊
清元「落人」
お軽 桃宗 蓮和
勘平 花柳 芳七郎
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二人の主人である塩谷判官「浅野」が、高師直に殿中で刃傷という突発事件をおこしますが、殿様のお供をしてきた勘平と、師直に手紙を届けにきた お軽が出会い、相思の二人が、ひそかに逢う瀬を楽しんでいたため、 大事の 場所に居合わせなかった勘平は、お詫びに腹を切って死のうとするが、お軽に止められ、戸塚の山中まで至る。 春とはいえ、まだ肌寒い二月下旬、松蔭でしばしの休息をとるのである。
「~色で 逢いしも」からお軽のクドキ。 お軽は二人の色恋故の罪科を嘆き悲しみながらも、泊り泊りの旅篭屋での楽しみをかたる。 勘平はその恋故犯した 罪のお詫びのため腹を切って死のうとする。 お軽は勘平が死ねば自分も死ぬ。それでは単なる心中としか思われないから、ひとまず両親の住む山崎に落ちのび、お詫びの時節を待ってと勘平を説得する~それそのときの 」と再びお軽 のクドキとなり、お軽の献身的でけなげな心に、勘平は切腹を思いとどまって再び落ちのびていこうとする。 |
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