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1.日本舞踊
常磐津「佃船頭」
本名題:花翫暦色所八景
(はなごよみいろのしょわけ)
桃宗流蓮扇会主幹 桃宗 蓮和
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交通機関が発達していなかった江戸時代では、船、籠、馬などが交通機関の主な物でした。なかでも籠かきや、馬子に比べて船頭は、その姿、形、気風が粋で「夕月」や「雷船頭」また今回上演いたします「佃船頭」など船頭を主人公にした古典芸能作品が数多くあります。特にこの「佃船頭」は酒に酔った船頭が、三人生酔(さんにんなまよ)を演じるのが眼目で三人生酔とは、怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸のことを表し、これを演者が一人で踊りわけていく所にこの作品のおもしろさがあり、見るものにその楽しさを伝えます。 |
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2.解説
日本舞踊に登場する
お面のはなし
芳瞠流家元 芳瞠 宣州
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プロフィール
芳瞠流家元 芳瞠 宣州
昭和9年 花柳流分家四代目。花柳芳次郎(後の花柳芳瞠)の次男として生まれる。
6歳より父芳次郎に日本舞踊を習う。
昭和32年 慶応義塾大学文学部フランス学科卒業。
昭和30年代 舞台勉強の為、故 長谷川一夫師につき東京宝塚劇場、新歌舞伎座(大阪)に出演。
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3.民族芸能
「恵比寿大黒舞」
兵庫県県指定無形民俗文化財
宝専寺(赤穂市)
恵比寿舞/舞方山本俊郎 太鼓久野孝司 おはやし山本忠彦
大黒舞/舞方久田明生
太鼓久田利明 ・頭巾嘉和 |
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赤穂市尾崎に古くから伝わる「恵比寿、大黒舞」は、その起源や由来などについて定かではありませんが文献によりますと江戸時代中期より始まったとされており、毎年正月に村の家々を回って福を授けたり祝言をのべたりしました。人々は「恵比寿さん」「大黒さん」と親しみを込めて呼び、我が家に舞に来るのを待ったと言われています。この風習は尾崎宝専寺に伝承されており、昭和20年に一時途絶えましたが、昭和41年に保存会が結成され、昭和47年には兵庫県無形民俗文化財の指定をうけました。
「恵比寿」は目出鯛とされる鯛を抱え、「大黒」は願いごとをかなえてくれる小槌を手にして太鼓との掛け合いで舞います。
今回の公演ではめでた舞の中でも一番めでたいとされている恵比寿舞「誕生の巻」(たんじょうのまき)、大黒舞「年徳玉の舞」(としとくだものまい)を披露いたします
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4.対談
能面の種類と表現力
観 世 流 井戸 和男
観 世 流 井戸 良祐
福王流脇方 江崎 金治郎
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5.能
「船弁慶」
観世流 井戸 和男・井戸 良祐
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この物語の舞台は平安時代、源義経は平家追討ちに大きな武功をたてますが戦いが終わるとかえって疎まれ兄頼朝から謀反の疑いをかけられる身となり、義経は弁慶や従者と共に都を出て、摂津国大物浦から西国に落ちようとします。静御前も義経を慕ってついていきますが弁慶は時節柄似合わしくないから都に戻すように義経に進言し諒承を得ます。弁慶は静を訪ね義経の意向を伝えますが、静は弁慶の一存かと疑い直接返事をしようと義経の宿に来ます。義経から帰京を言い渡された静は名残りの酒宴で義経の不運を嘆きつつ別れの舞を舞います。 |
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6.日本舞踊
常磐津「三ツ面子守」
本名題:菊蝶東籬妓(はなにちょうまがきのうかれめ)
桃宗流蓮扇会主幹 桃宗 蓮和
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江戸の下町の子守が赤ん坊をねんねこで背負いお祭りで買った三つのお面(えびす・おかめ・ひょっとこ)を笹の枝にぶらさげたものを持って花道より登場。赤ん坊を寝かしつけてから手毬つきの踊り、そして廓の話を踊り、最後に三つのお面をつけて踊ります。非常にテンポがあってそれぞれの面の性格を個性的に踊るという見せ所の多い作品です。この「三ツ面子守」は文政12年(1829年)9月に江戸河原崎座で上演され、この所作事の名題は「菊蝶東籬妓」(はなにちょうまがきのうかれめ)といいます。 |
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